プルルルルルルルルルルル。
「まもなく三番線から電車が発車します。黄色い線までお下がりください。」
ピーヒロヒィ!
どこか間抜けな笛が駅のホームに鳴り響く。
俺は、扉まで全速力で走りきると、満員の西部線に強引にでかい体を押し沈めた。
前のOLにギュウと体を押し付け、扉に挟まれないようにがんばる。
ぶしゅう。
どこからともなく空気の抜けたような音が鳴り、扉が体すれすれを滑り閉じていく。
バタン。
扉が閉められると、途端に満員電車特有のニオイ――人間の脂や汗のニオイ、
香水やら呼吸のニオイやら――がジンワリと鼻孔に侵入してくる。
車内は生暖かい空気が充満しており、不快。左のオヤジのハゲ頭には、
無数の汗の粒がプツプツと浮き出ているのが分かる。そしてもちろん、
俺の顔もまた汗で湿っており、就活用に短く刈り込んだもみ上げに汗が
たらりと滑っていくのが感じられる。
息が苦しい。ちくしょう、走るんじゃなかった。急ぐ用などどこにもないはずなのに。
今日はとある二流企業の一次面接であった。
出来杉を脅して書かせたエントリーシート(当然俺の)が奇跡的に通り、
就活始めて以来通算二回目の面接があったのだ。
就活が始まった当初は、俺様のエントリーシートを通さないなんて何事、
そんな企業こっちから願い下げだっつーの! などと息巻いていた俺だったが、
そのときから俺は自分の力不足に気づいていた。企業から見たら、論理的思考もできない、
おまけに自分の意見をこぶし以外で伝えるすべを知らない俺などに、
魅力を感じようだなんて思うまい。それは俺も気づいていた。
案の定、俺は面接官の最初の質問、
「なぜわが社を志望したのですか?」というベーシックな質問に、答えることができなかった。
どもるばかりで、ついて出てくる言葉は断片的。
うまく答えねばと焦れば焦るほど、無造作な言葉が勝手に口から溢れ、
テーマを盛り上げることなく萎んでいく。
終いには「もうけっこうです。ありがとうございました」などと、
機械的笑みを浮かべた面接官に半ば強引に打ち切られてしまった。
作り笑いがひどくむかついた……はずだったが、不思議と怒りの感情は沸き起こらない。
ただただ俺は沈んでいったのだった。
その帰り道がこの満員電車だ。人がギュウギュウにつめられた車内で、俺は微動だにできない。
前のOLと左右のサラリーマンにつめられ、足場が爪先立ちするしかないほど狭まっている。
ムンムンとした空気に湿らされた窓に背中が押し付けられてイヤだ。
おまけに俺の鼻の先5センチには前のOLの頭がある。
セミロングの髪は黒々と輝いていて、艶やかだったが、
俺はその髪を鼻に吸い込んでしまうような気がして、若干呼吸を弱める。
それが余計に苦しくて、汗はとめどなく溢れてきて、段々イライラした気分になっていく。
就活のイライラも手伝って、鋭い目でその女のつむじを見ていると、
女はフッと首を動かして、こちらを横目で見た。
鼻息が髪にあたるだとか、理不尽な文句をつけられそうな気がして、
俺はすばやく目線を中つり広告に移す。
こういう小さい自分がイヤだったが、そんな感情はすぐに打ち消された。
「タケシさん?」
顔のすぐ下から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
目線を下げると、俺の胸の辺りにピットリとくっついたシスカちゃんの顔があった。
ずっとOLと思っていたのだが、なるほど。よく見ると、
シスカちゃんはリクルートスーツを着ているようだ。
「シスカちゃんか」
同級生のシスカちゃんがいた。小学生の頃よりだいぶ大人びていたが、
大きな目と形のいいマツゲ、
小さな鼻に、モチモチした肌は、俺の頭に瞬時にシスカちゃんを連想させた。
昔のクラスのアイドルに会い、俺の心は踊りに踊った。
が、すぐに「まいったな」とも思ってしまうのである。
「久しぶり? 元気そうね。」
俺は、ああとか、おうとか。生返事を返しながら、気分が滅入っていくのが分かる。
そもそも小学生の頃から、シスカちゃんとは喋っていそうであまり喋っていない。
シスカちゃんと話すとき、たいていツネオやノベタが一緒であることが多かったのだが、
今考えると二人きりで喋ったことなど一度もない。
シスカちゃんに憧れる気持ちを持つ一方で、なんとなく可愛い女子と一緒になることが怖かった。
ツネオやノベタなら俺が好き勝手喋っていればよかった。
奴らは俺に対して文句があっても何も言わないし、ガタガタ抜かせばぶん殴ってしまえばいい。
しかしシスカちゃんはそうはいかない。シスカちゃんに気を使わせることなど、
いくら傲慢な俺とて穏やかではないのだ。
一度ノベタたちと白亜紀の恐竜時代に大旅行をしたことがあったが、
そのときも俺はツネオの側にずっとおり、なるべくシスカちゃんと二人になることは避けた。
そんなわけで、俺がそういう態度を取っているのを暗黙のうちにシスカちゃんは気づいていた。
なので今日までシスカちゃんは俺とは極力話さないように勤めていると思ってきたのだが、
目の前のシスカちゃんは……何か様子がおかしい。
「今、卒業研究と就活がかぶっててね、たーいへんなの。
バイトもしなくちゃなんないし……あ、バイトはウェイトレスやってるんだけどね。
そこのお客さんがなんか、ふふ……言っちゃだめだけどタチが悪くって。
対応に困っちゃうのよね。でもそういう対応するのって実はタメになっちゃってて。
やっぱり赤の他人といきなりコミュニケーションとるのって大切で――」
よく喋る。かつてシスカちゃんは俺にこんなに喋っていただろうか。
その場を取り繕うために無理に会話を搾り出す。
俺の知っているシスカちゃんはそんなことをやるような女ではなかった。
シスカちゃんの会話はいつも何らかの重みがあり、優しさがあり、そして媚びがなかった。
なのにこのシスカちゃんは、何か女子大生の枠に収まった、
いや、就活生らしいイキイキした口調であった。
快活で明朗だったが、シスカちゃんらしさは大分失われてしまったように思われる。
「今日は最終面接だったのよ。タケシさんは、就活、どう?」
出ると思った。猫も杓子も就活就活。それ以外に会話はないってのか。
シスカちゃんまでもが、就活生という枠に捕えられてしまったようで、
俺はひどく不快になった。なぜ不快になったのだろう?
その理由は、自分もそうなるべきであることが分かっているからであった。
ハキハキと、明確に、魅力的に、細かに、簡潔に自分を伝える。
それが今の俺には明らかに不足していたし、何より必要であった。
今のちょっとした会話でシスカちゃんはそれをできるだろうことが分かった。
羨ましい気持ちより、腹だたしい気持ちが勝ってしまいそうになる。
「まあ、ぼちぼちよ」
そして俺はシスカちゃんを見極めるために、さぐるように次の言葉を繰り出したのだ。
「最終面接ってすごいね。さすがシスカちゃん」
シスカちゃんは、待ってましたとばかりに顔を輝かせた。
ギュウギュウの車内の中で、シスカちゃんだけがイキイキとしている。
「第一志望じゃないんだけどね。でも練習のつもりで……っていっても結構ちゃんとした企業なんだけど……」
聞いてないテーマまでも率先して進めていく。
ここからは自分の武勇伝に移るのだろう。どいつもこいつもおんなじよ。
「OG訪問した企業だったのね。んで、よさそうな社風だったから、
何事も経験だし受けてみようかなって。」
「OG訪問だって? すごいなあシスカちゃんは。」
「すごくないわよぉ。私の場合自己分析をちゃんとして早くから自分の方向性が見えたから……
やっぱり行きたい方面の企業だと、第一志望じゃなくても本気になれるわよね。」
「自己分析かあ……あはは。俺、全然やってないや」
精一杯おどけてこの言葉を吐き出してみる。途端にシスカちゃんの顔が曇る。
まあ分かっていたことだけど。
「こんなこと言うとあれだけど……タケシさん、ちゃんと自己分析はしたほうがいいわよ。
自己啓発になるし、自分に向いている分野、向いてない分野をはっきりしたほうが、就活に絶対便利だから。」
俺は予想通りの言葉をシスカちゃんが言うのを、怒りを抑えながら聞いていた。
そしてまたおどけてこう言った。
「でも今更……俺……自己分析なんてやったって、しゃーないよ。」
「それがいけないの。たとえ就活につながらなくたって、
何かの役に立つから。それにまだ秋採用の時期じゃない。
がんばればきっと。でも頑張るといっても闇雲に頑張っても意味ないの、例えば……」
それからシスカちゃんは俺が電車を降りるまで、どこかで聞いたような就活話を長々とした。
シスカちゃんの話し方は、数々の面接をくぐってきたプロの話し方で、
それは自信と……なにより自己陶酔で満ちた話し方であった。
一種の就活ナルチシズム。私、しっかりしてるでしょ? えらいでしょ?
というセリフが聞こえてきそうな物言いが腹だたしい。
たとえそのアドバイスが100%正しくても、俺には許せなかった。
むしろシスカちゃんの非のなさが腹立たしかったのだ。
俺が電車を降りるとき、シスカちゃんは言った。
「力をおとさないで。がんばればきっといつかなんとかなるのよ。」
一度も俺が就活で苦戦したなんて言ってないのだが、
会話の流れでそういうことになってしまったようだ。
あっているのが余計に……俺の胸をかきむしった。同情するな。そんなことは分かってる。
俺はズボンのポケットから定期入れを荒々しく引っつかむと、
人がパラパラと出入りするプラットホームを早足で歩いていく。
後ろから、くたびれたスーツを着たサラリーマンが、背中を丸めながら無表情で通り過ぎる。
空を見上げると、灰色の雲が重く俺にのしかかってくるような気がした。
プラットホームの外灯がそこだけ妙にボウッと光っていて、
それ以外のところでは既に闇が侵入しつつある。
風が寒くなってきた。定期券を自動改札機に入れ損ね時間を食う。
後ろの人が舌打ちしたような気がした。
俺は駅を出ると、正面の狭い道に広がる商店街の光を眺める。
左右のゴチャゴチャ光る建物のあちこちから看板が顔を出しているのが見える。
車の通る音をベースに、人の話し声や、店のBGMが主旋律を奏で、
商店街そのものが音楽のようである。
さっきのサラリーマンはもうどこにもいない。
数分前にはシスカちゃんと話していた自分は今ひとりぼっちだ。
人がたくさんいる。多人数で笑っている人もいれば、
無表情に一人、下を向きながら歩を進める人もいる。
(俺は果たして就職したいのだろうか……)
そんなことを一人ボウッと考えていると、俺の前に、左ハンドルのオープンカーがゆっくりと停止した。
そこには見慣れた顔が生えているような気がした。
「シャイアンじゃない?」
俺は声に反応して、その見慣れた顔を凝視する。
~その2に続く~
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出木杉 ≠ 出来過
「シャイアンのぶん殴っても内定でないよブログ その1 By Y平」への9件のフィードバック
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面白い!面白い!
早く続きが見たいよー><
こんなに文才があるなんてうらやましいなぁ・・・
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なんだろう、このじわじわ来る面白さ。
>プラットホームの外灯がそこだけ妙にボウッと光っていて、
格好いいっす、この表現!!小説読んでる気分でした。
あ、ブログ変えたので、リンクの変更おねがいします。
(もと「しえる」より)
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めっちゃリアルですね!(笑)
ジャイアン…悩める青年じゃないですか!(笑)
名前、かぶってる人がいるみたいなんで変えました☆
mixiで登録させてもらってるmikiでした☆
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分量の多さやべぇwww
独特の世界観にもハマった。あと、おセックスとかの文字がないのも新鮮です。
続き気になるー
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Y平、おかえりー!!
待ってたよ、待ってさ、待ってたんだよ。君の記事をっ!ww
相変わらずうますぎだって。しかも、Y平のこれから来る状況と被ってない?
しかも、著作権ギリギリなのか、すげぇ。wwさすが、Y平だと思ったよ。
あ、そういや某SNSで見つけちゃったっ。登録してもいいかな?
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自分が就活してたときのように思えて仕方がなかった。
久々コメです。
確かに今回のようなシチュエーションは俺が就活してるときにも多々あったよ。
街中で知り合いと会えば、就活、就活って話ばっかり。しかもその話に乗っかってしまってる自分がいた。
でもお互い近況話すことで気持ちを落ち着かせられるって効果もあるんだよな~。(話の中ではシスカちゃんがと独断状態だったけどw)
シスカちゃんとGアン(仮)って確かに2人っきりて状況テレビとかでもほとんど見ない気がする。その点に着目できているY平君に、内定!(不二子プロダクションより)wwwwwwwww
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一読して、なんか…俺への当て付け? って思っちゃった(笑)
就職活動してないくせによく書けてるじゃないか。
「力をおとさないで。がんばればきっといつかなんとかなるのよ。」
とか言われたこと俺もあるし…別に苦戦してるって言ってないのに。
こういう女っているよな…
なんか虐げられしものの独白ってのがプロレタリア文学っぽい(笑)
続編、期待してます!
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これは続きが気になるぅぅぅ!!!
お馴染みのキャラクターが次々と登場してゆくわけですね。またなんか完結しないうちに「そういえば続き書いてないや。まぁいいやアハハ」とかやめてくださいよ。
そんなことになったらプンプンですよ。プンプンプリンセス。
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なかなかおもしろかったぴょん
ノベタに大爆笑