歴史とゲーム

7時20分起床。次女がつっぷして起きない。が、幼稚園バスまでには腐る程時間があるので放置してリビングへ。コーヒーを飲み長女を送り出しているうちに次女が起きてきた。焼けたパンにクソ高えいちごジャム、ぬりぬり(ちぃかわのあの歌)。

幼稚園バスの時間まで次女とちぃかわ鑑賞。次女が何度もパジャマパーティーズが巨鳥にさらわれるやつを観ようとするので他の見ようぜと提案。しぶしぶ見せてくれた。以前ならばこれだけで錯乱して怒っていたものだが。だいぶまともになってきた感。ただ園児って同じもの何度も見るよな。俺も5歳のときはアニマルプラネットばっか見てた。

園バスに次女を乗っけて、さあ、仕事。仕事と言っても今日は週一の業務委託お休み=ゲーム制作デー。

今日は新ステージの敵キャラなどを作っていた。

INARIさんのVery Long Fantasyの素材をゲーム用に加工して作った。可愛くて好きすぎる。

合間にSlackを確認し、仕様の質問について回答。休みの間に他人の仕事をスタックさせたくない気持ち。業務委託になっても社畜みたいなことやってる。まあ、好きだからいいのだけど。

昼飯にモスをたべつつ筋トレ。しがらみのない自分の仕事だけだと、昼から1時間ジムったりもできる。幸せである。これを取るに足らないこととスルーしてはならない。噛みしめる。

胸を中心に背中も少々。有名な筋トレYouTuberの方が筋肉をデカくする唯一の方法、それは仕事を辞めることだ、みたいなことを言ってたけど、本当にそうだろうな。冗談ぽく聴こえるけど、自分がやりたいことに時間を投下する。それが大事。じゃあ私は今筋トレしてる場合ではなく、ゲーム制作したほうがよくね? などとなる。ゲーム作る日だもんな。いかんいかん。

合間にコテンラジオの障害の歴史を聴く。障害は単なる身体の欠損や不具合ではなく、環境要因が決定する。例えば、近視だってメガネが無い以前は障害だった。産業革命時は工場労働が知能的にできない境界知能の方が障害者として精神病院に送られたが、農耕だけやっていたときにはそのような方も障害とみなされなかった可能性がある。みたいな話。良い。そのときに社会で善とされていることを十分にできない人たちが障害者とされる。本人だけでなく社会構造が密接に絡んでいる、的な構造。

最近やたら歴史を勉強しているが、もともとはゲームの物語のネタのために勉強していた。FFタクティクスは王権やら教会やら貴族やらの三つ巴が中世のフランスやイギリスっぽかったりする。異端審問、平民出の某、教会と王権の相互牽制。こういうのは実の歴史をベースに組み立てていくとリアリティが増していく。今作っているゲームにも王権が存在し、差別が存在し、などと骨太なストーリーを組み立てているため、歴史の知識はその血肉となる。差別が起こる構造ってなんだっけ?? と振り返ることでより深みのあるストーリーを出すことができる。

茶太郎が亡くなってから、可処分時間が増えた。習慣術も復活した。体も鍛えられる、勉強もできる。しかしやはり、なんとなく淋しい。

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