バカマラソン3rd ~3日目後半~

「岐阜県白鳥 ~ 白川郷」
大日岳

道の駅「大日岳」でたっぷり2時間ほど休むと、再び僕らは歩き出した。
大休憩だったにも関わらず、たいしの爆弾傷は今だ健在で、
もうこのマラソン中に治ることはないように思われた。
こうして徐々に爆弾傷を作っていき、最終的には歩けなくなるのだろうか。白川の山中で……
気づいたら、僕も右くるぶしに爆弾ができていた。痛い。
しかし、なるべく普段どおり歩かねばならない。爆弾をかばおうとすると
別のところに爆弾ができるのだ。
現に爆弾傷をかばい続けたたいしは、既に左ひざ裏と右足に重大な爆弾を抱えている。
僕はむしろ右くるぶしを痛めつける形で、例の脳内麻酔を出すよう努めた。
源流

少し坂道を登ると、平然と「長良川水系源流」みたいな看板が現れた。
観光客であれば、「おおー」っと言ったところであろうが、僕らからするとゲッソリである。
42

長い坂道を下ると、岐阜バスが通りかかった。
例外なく死人のように歩く僕らを見てびびっていくが、
岐阜バスが通っているということは心強かった。いつでもギブアップできる。
そう思うと元気も出た。
少し

するとここで更に朗報が訪れた。「白川まであと41キロ」ついに射程圏内(フルマラソンの範囲)である。これはもしかすると行けるかもしれない。僕らは一様に元気づき、小粋なトークも復活する。イケる。泣きそう。
44

28

スキー場を横目に、僕らは確かな足取りで進んでいく。雪が少ないスキー場で、
無理やり滑っているスキー客をバカにしつつ、進んでいく。
29

しばらく歩くとあっという間に夜になり、山道は露骨に激しさを増していく。
道路はクスリがまかれているらしく、雪があまり積もっていないが、
横を見るとすでに30~40センチの積雪模様を見せている。
歩道は狭く、ますます歩行者は歩きにくくなる。
こんなとこ、人なんか通らねえだろと思っていると、
30

突如現れるスクールゾーンの看板。スクールゾーンだなんて岐阜県はよく言えたものだ。
更に歩くと、
31

暗闇に聳え立つ「荘川 であいの森」。一体何にであおうというのか。
そんなアトラクション満載の山道を歩きつつ、次に目指すは「道の駅 荘川」。
ここで長期休憩をとり、残りの道のりを夜通しで歩き続ける作戦だ。
幸い、その道の駅には温泉もある。おそらく暖かい食事もある。
丁度ぼくらの食料もチョコレートや餅などの非常食のみとなってしまったので、
タイミングがいい。そのような完璧なプランを立てていた。そう、完璧だった。
僕らは「道の駅2キロ」という看板を信じて歩き出した。
あと2キロなんてコンビニ行くようなもんだ。はは。なんだか嫌な予感が……デジャブ。
やはり行けども行けども道の駅は見えてこなかった。
二人はあえて何も語らなかった。語らず、ただモクモクと、
ボロボロの足を押してものすごい早さで歩いていった。ただ道の駅に着きたい一心で。
30分歩いた。まだ見えてこない。ここでようやく
「2キロとか……また嘘つきやがった」
「また直線距離で測ってんだろな」
だなんて冗談交じりに口を開いた。そうだ。ちょっとした間違いだ。
1時間歩いた。山道を歩き続けて大分時間がたつ。
二人とも「いくらなんでも、遠すぎだろ」と思っていたが、疲れるので言わなかった。
おそらく遠くにうっすら見える光が道の駅なんだ、と思い続けることで歩いた。
1時間半歩いた。外灯がほとんどない。びっくりするほど暗い。異常に寒い。
二人はだんだん悟り始める。
2時間歩いた。ついに道の駅はなかった。
かわりにものすごい暗いところにひっそりと、
自販機だけが置いてある御母衣湖のPAがあった。
そして反対車線側にある看板を見たらどえらいことが書いてあった。
「道の駅 9キロ」
はじめ見たときは意味が分からなかった。
僕らは「道の駅 2キロ」という看板を見て2時間歩いてきたのに、
反対車線の看板には「道の駅 9キロ」。遠ざかっている。なぜか。
通り過ぎた。僕らは最後の休息ポイントを通り過ぎた。
あとで聞いた話だが、道の駅は少しだけ道からそれたところにあったらしく、
僕らはそれに気づかず通り過ぎてしまった。
疲労もピーク、食料も少ない、なのに通り過ぎた。
滋賀県マラソン行ったときとは、次元が違うレベルで「死ぬかもしれない」と思った。
温度計があったので見たら、氷点下3℃だった。
残り白川郷まで25キロ、死にたくなければ歩くしかない。
156号線、白川郷まで25キロ付近の山道は、明らかに歩行者が通ってはいけない道であった。
通るのは長距離トラックか、石川県に抜ける旅行客の車のみ(それにしても数は少ないが)。
歩行者などいるはずもなかった。
外灯が500メートルに一つ、悪いところになると
見渡す限り四方八方外灯がないような地点もあった。
いい。100歩譲って道が暗いのはいい。
月明かりと、雪があるおかげで幾分か視界は効くからいい。
問題は道以外に、様々なアトラクションがあることだった。
まずトンネルが問題だった。照明が異常に少ないトンネルが多数あった。
しかも当然のように歩行者の通る仕様にはなっていないので、歩道はほとんどない。
整備が行き届いていないのか、トンネルの壁は、
鍾乳洞のようにグチュグチュになっていて、ところどころで雪解け水が滴る音が、
ポチョン、ポチョン。
時刻はとうに深夜。勝手の分からない山道で、
闇に満ちたグチュグチュのトンネルを通る恐怖が分かるだろうか。
それが一つぐらいならいいかもしれぬ。いい肝試しだったねで済むかもしれぬ。
しかし25キロのうちにそんなトンネルが何度続くと思う。4個や5個じゃ済まされない、
挙句の果てにトンネル長が1キロを超えるようなものまで出てくるのだ。
そして一番難関だったのが、この雪避けである。
雪避け

これは外が見える分、昼間であれば何も怖くないスポットであるが、
これが夜になると一変する。
雪避けの一番の難点は、内部にライトがないことと、
月明かりが遮断されてしまう点にある。
申し訳程度に開いている隙間からしか、光が得られないのである。
するとどうなるか。ただでさえ外灯の少なすぎる山道。
雪避けの内部での僕らの視界はどうなるか。
誇張を交えず、そのときの僕らの視界をペイントで描くとこんな感じだ。
闇視界

誇張ではない。本当だ。ほぼ完全なる闇なのだ。
僕らはここを、ほんのわずかばかり漏れている光をたよりに、
自分が道のどの部分を歩いているか察知
(それは見えるというよりももっと次元の低い、感じるというレベルで)、
まっすぐ歩いていくのである。
この雪避けがトンネル以上にものすごい数、配置してあり、
かつ一つ一つの距離はおよそ200メートル以上、
長いのだと15分くらい続くような雪避け道もあった。
完全なる闇の道を10分も15分も歩く恐怖は、並大抵ではない。
都市部のお化け屋敷の一アトラクションとしての「闇道」ならばいいかもしれない。
しかしここは白川郷に達そうかという深い深い山道。
そんなところで「闇道」を通らねばならない恐怖は筆舌に尽くしがたい。
闇道を通っている間は気が気でない。どこからか僕らを撫で付けてくる風が、
霊的なモノを連想させる。横を見ても、いるはずの相方は見えず、息遣いが聞こえるのみ。
そのうち僕の横にいるのは、本当にたいしなのだろうか? そんな疑念さえわいてしまう。
「おい、たいし。」
「ちょ、お前、喋れよ」
「おい!」
「やめて、ちょっと。返事しろよ、たいし!」(非常に死亡フラグの立ちそうな台詞)
雪避け道であえて黙るたいしは、それでも少しは余裕があったのだろうか?
あれは本当にやめて欲しかった。
そんなわけで、トンネルand雪避けコンボは僕らの恐怖心をおおいにあおった。
僕らは雪避け道を歩くときは、なるべく喋って恐怖をまぎらわすことに努めた
(時折作為的にだまるたいしに辟易したが)。
そしてなぜかその闇道であがる話題はジャンプ漫画に関してであり、
特に「富樫と鳥山明の類似点」というわけの分からないテーマで盛り上がった。
無論、盛り上がったと言っても、盛り上がったふりである。
「俺達はぜんぜん怖がってない」アピールを僕ら以外の第三者的何かに送り続けた。
話が途切れそうになっても強引に話を続けた。
ついには「純情パイン」の話題まで出す必死っぷりであった。
そして、さあ光が見えてきた。これで長い雪避け道も終わりだなと思うと、
そのままグチュグチュトンネルに入る。絶望である。
そうこうしてる内に、精神的限界よりも先に肉体的限界が訪れた。
「ヒグッつ」
たいしが悲痛な叫び声をあげた。2回目の爆弾炸裂、今度は左ひざ裏爆弾が爆発した。
左足首爆弾とあわせ技一本、これでたいしの左足はほとんど使い物にならなくなった。
右足と、膝が曲がらない左足でバヒンバヒン歩くたいしはわりと限界であった。
そしてそのまましばらく歩いていると、
たいしが突然「アグゥ」と悲鳴をあげて立ち止まった。
振り返ると、苦痛に顔をゆがめたたいしがうずくまり、小さく
「いいよ……行けよ」
と呻く。限界っぽい。
長距離輸送のトラックが後ろからやってくる。そして僕らを見て、
ものすごいハンドルさばきで驚いて逃げていく。
前から来た軽自動車が、僕らを見てかなり驚き、徐行した。
そして何度か発進、停止、徐行を繰り返した。
おそらく今頃車内では「乗せてあげようよ」「だめだ、あれは幽霊」
「でももしかしたら……」「ぜってえ幽霊!」だなんていう
カップルの会話が繰り広げられているのだろう。
そして結局、軽自動車は急発進して闇の果てに消えた。カス野郎。
通りがかりの車にとって、間違いなく僕たちは怖い存在である。
第三者的存在にまちがえられてもおかしくない。怖いのは分かる。
だが勘違いするな。一番怖いのは僕達だ。
何度も雪避け道を通らされ、何度も気色悪いトンネルを通っているうちに、
本当に泣きたくなってきた。
闇の道を歩いているとき、歩いているのに進んでいないような感覚に襲われたり、
たいしの気配がまるきり感じられなくなったりして、どうにも精神が衰弱してきた。
一体何時間こうして歩けばいいのだ。ゴールはいつ見えてくる?
いや、ゴールなんか着かなくてもいい。せめて光のあるところに、
氷点下じゃないところに……
僕らの25キロ耐久肝試しはいっこう終わりを見せない。
比較的整備された1キロトンネルが現れた。ここは他のトンネルに比べれば、
グチュグチュになっておらず、ライトの数も多い。歩道もあって歩きやすい。
しかし場所が場所だけに早く抜けたいという気持ちは変わらない。
足をひきずりながらも必死に歩き、500メートルをすぎたところで、
車の待避所が現れた。そこでたいしが口を開く。
「休憩しようぜ」
僕達は、山道のトンネル500メートルの地点で腰を下ろし、休憩することにした。
正直に言って、僕は休憩などせず早くこのトンネルを抜け出したかった。
こんなところに長時間おったのでは、第三者的何かが黙っちゃいない。
憑かれてしまう。
そんなことを思い、いつ奴らが現れても逃げ出せるように、かなり周囲を警戒していた。
そんな僕を尻目にたいしくん、何食わぬ顔で物申す。
「ここ暖かい。寝れる」
寝れない。絶対寝てはいけない。こんな第三者的場所で寝てはいけない。
こんなところで寝るぐらいなら、氷点下の世界で寝るほうがずっとマシである。
しかしたいし君はそれほどまでに疲労していた。
もちろん、僕もボロボロである。右くるぶしが非常に痛み、
おまけに食料が足りず空腹になっていた。それでもここには居たくない。
僕の半ば懇願じみた要請で、15分ほどでたいしは出発してくれた。
途中、トラックの運ちゃんが、トンネル内を歩く僕らを見て声をかけてきた。
すげえ、全然怖くないんだろうか。
トンネルを抜けてしばらくすると、またしても雪避け道に入り、まっくらになった。
怖すぎて、僕はたいしと手をつなぎたい願望に駆られた。よほどである。
ものすごい長い間、文字通りの真っ暗闇を歩いていると、本当に感覚がおかしくなってくる。
風が僕の体をなでつける感覚が、何か、人の手にさわられているような感覚に感ぜられる。
頬を生暖かい、手みたいのがなでていく。
僕が叫んだ瞬間、何かこう、魂を持ってかれそうな雰囲気がしたので、叫ばなかった。
たいしも横にいる気がしない。
僕は体を硬くして、ただ前にむかって歩いた。行けども行けども光は見えてこず、
泣きたくなった。むしろ泣いた。たいしには言ってないが僕はあのとき泣いていた。
遠くなつかしい故郷を思いながら、帰りたい。という気持ち一つで泣いていた。
発狂する人の気持ちが分かるかもしれない、と思い始めたところで
ようやく雪避け道を抜けた。横にいると思っていたたいしが、
後ろにいたのでびびった。いつから後ろへ。
たいしが「寒い寒い」とガタガタ震えだしたので、
僕は持ってきた張るタイプのカイロをたいしにあげた。
カイロを衣服に張るためにしばし止まっていると、
後方から乗用車がやってきて、ためらいもなく僕らの横に停まった。
中にはファッショナブルな出で立ちの大学生らしき男が二人乗っている。
男が僕らに向かって開口一番、こう言った。
「乗って行きます?」
かくして、僕達は白川郷、残り20キロの地点であえなくギブアップとなった。
車に乗せてもらうとき、ほんのわずかばかり
「ここでギブアップしてどうするだ?」
みたいなブログ的自分が現れたりしたのだけれど、それはすぐに消えた。
軟弱。今となっては軟弱だな、と思えるのだけれど、
もう一度あの状況に立たされたとして、再び車が現れたら僕は断ることができるだろうか?
やはり、何度挑戦しても僕は車に乗ると思うのだ。
見栄や虚勢、矜持、全てをかなぐり捨てて、それでも乗りたいと思うのが僕なのだ。
しかし一番の敗因はやはり、夜にあの山道に不用意に突入してしまったことだ。
懐中電灯さえあればもしかしたら……
と過去を振り返るのは、僕らを乗せてくれた大学生たちが、
たいしと同じ大学の、しかもたいしの同級生だったという偶然ぐらい、
振り返るに値しない些事であると、僕は思う。
僕達は、負けました。
三日目: 走行(歩行?)距離 80キロ 白川郷まで残り 20キロ
総走行距離 180キロ

記録:
白川郷まで残り20キロの地点で、たいしと同じ大学の大学生に救助される。

地図(クリックで拡大)↓
後半