ベッキーをめぐる

 金スマを見た。ベッキーが復帰するというから普段見ない金スマを。何か田植えとかやっててマジでクソつまらなくて、でも時々ベッキーが出てくるよ的な演出をしてて、テレビはうまいなあと思いながら見てた。お腹の子も気になるのかドコドコ動き回ってて、やっぱ女の子、ゴシップ好きねーなどと言いながらゴシップ見てたよお父さん。
 んでベッキーさん、中居くんとの対談的なのをやって、すごい突っ込んだこと話してて面白かった。ツイッターの反応はどうかしらと思い色々見てたら概ね「ベッキー好きー。川谷死ね」派、「両方死ね」派、ごく少数だが「川谷は音楽やってる人だからファンに謝れば別に謝らなくてもね」派、そして「興味ない派」、「そんなことより舛添やれマスゴミ」派、と勢力が分かれている模様。と、ここで湧いて出てくるのはどこの派閥にも属さない孤高の思考を持ちたいという願望。多数派を小馬鹿にして真理めいたものを口ずさみドヤ顔したいツイ廃の俺。しかしウェイト、それって新たな派閥じゃない? そういう派閥として俺もまた括られるのではないか? 括られたくない。俺は孤高でいたい。でもよく考えろ。そうしてくくって悦に浸る側も「括って悦に浸る側」という派閥に属しているのだ。さらに「括る」派閥を括る派が現れる。あわせ鏡。平行線。永遠に終わらないベッキー談義。面白いよねえ。あ、今、「どうでもいいけどただ面白いねえと感心する」派閥にいます。おい、ほら。括れよそこのお前。お前が括ると同時にお前もまた括られているのだ。せいぜい孤高を気取るがいい。ボコボコ。妻のお腹の子が騒ぐ。そんなことより? 舛添が? 社会派な胎児だねえ君は。