争ったら負け アドラー心理学や上善若水

最近老子を読んでいると言った。老子の中で良く、怒るなよ〜、冷静でいろよ〜みたいな言説がたくさん出てくる。代表的なのは下記。

最高の境地は水に似ている。水は巧みに万物に利益を与えながら、自分は利益を争わない。しかも大勢の人が嫌がる、低くジメジメしたところに止まっても文句を言わない。だから水は、人が従うべき正しい生き方に近い。
つまり、行動しやすい場に身を置き、美しく深い湖沼のように考え、善意だと評価される慈善に力を貸し、適切な事実を言い、見事に整った政治を実現すべく改革し、自分の得意なわざに力を尽くし、成果を出すのに都合のよい時に動くことだ。そもそも、争わないという事だけでも、人にとがめられることが無い理由として十分だ。
https://rousi.kyukyodo.work/honbun/08.html#toc3

上善若水(上善は水のごとし)ってやつ。

これが好きで、最近は人と喧嘩になりそう、あるいは何か一発物申したったろうみたいなことがよぎるといつもこれを思い出している。

老子だけでなく、だいたいの思想や心理学では喧嘩あんま意味ないよ? みたいなことが書かれている。

これまた有名なところで、アドラー心理学がある。

アドラー心理学はそもそも人間はどんなときに幸福を感じるかというところから入る。

人間の幸福は社会的なところにあり、社会の一員(ここでいう社会は会社だったり、家族だったり、友人と自分だったり、日本だったり大きなものから小さなものまである)の中で「ここにいていいんだ」と心から思える「共同体感覚」や、自分は他人の役に立てていると感じる「他者貢献感」から幸福は来るとされている。

そんな前提があったうえで、親子関係の話。(上司部下の関係でも良い)

どうにも子どもが自分の価値観によるとうまく育っていないように感じる。子どもが問題行動を起こして悩んでいる。よくある話だ。

アドラー心理学で言う子どもの問題行動は下記の5つに分類される。

https://www.perplexity.ai/search/atoraxin-li-xue-nozi-tomonowen-njWjGcTGTJeE0VUkkZi65g#0

4の復讐までいくと、第三者の介入がないと修復不可能と言われている。

できるだけこの問題行動を起こすところまでいかないようにすることが肝要だ。

その方法としてアドラー心理学では「叱ってはいけない」という手法を提案している。

そもそも子ども(や部下)がなぜこのような問題行動を起こすかと言うと、「ここにいてもいいのかな。。。?」などと共同体感覚の欠如を起こしていたり、「おれ全然だめじゃん。誰にも役に立ててない」と他者貢献感を感じられず自信を失っていることが原因だったりする。

では我々ができることは何かというと、単純で、「ここにいてもいいよ」「あなたはとても貢献してくれているよ」と示すことだ。え? 何をすればいいの? と思うのだけど単純で「ありがとう!」と感謝を伝え続けることだ。

なにかしてもらったら「ありがとう」。最終的にはもうそこにいるだけで大感謝、みたいな気持ちを伝え続けることだ。実際、子どもなんてのはもう元気でニコニコし「そこにいるだけ」で親的には最高なので、そのようなことを伝え続ける。こうして、子どもは共同体感覚と、他者貢献感を身に着け、幸福感を感じることができる。これは会社での上司部下の関係においても一定あてはまるところがある。まあ会社は利益を出さないといけないので、能力度外視で「そこにいるだけ」で良いとはなりにくいと思うが。

そうは言っても時々、余裕のないとき。どうしても親はイライラし、ときに躾と称し子どもと言い争うように何か怒鳴り合う場面がある。そんな場面になっちゃいそうなとき。上善若水の「そもそも、争わないという事だけでも、人にとがめられることが無い理由として十分だ」や、アドラー心理学の「叱ってはいけない」を思い出し、平静を保つ。そもそも争ったら、相手が「共同体感覚」や「他者貢献感」の観点で不幸を感じること100%なので、うまくいくことはない。不幸を感じさせてくる相手に寄り添うなんて自然じゃないじゃないですか?

いや、不良を叱りつけたらその20年後とかにあとで感謝するみたいなエピソードあるじゃないですか? と思うかもしれないが、そこはもう議論されていて、それはたまたまで、解決策として下の下と結論付けられている。ぜひ「嫌われる勇気」あたりを読んでみるとよろしい。

あとこれは子育てだけでなく、会社とかでも対話を忘れて下請けなり部下なりを脅して強引にやらせたりすると、恨みを買って長期的には全く利益がない。だいたい下請けや部下が潰れてろくでもない成果物ができるか、自分の良心が傷んで自分がうつ病になるか。人生的に考えてもその脅しカードを切ってしまったっていうのが魂に刻まれて、日常生活でも同じことをやり始め、将来孤独死老人まっしぐらです。パートナーとか子どもとかにもやりはじめメタメタに嫌われます。マジで。

上善は水のごとし、なんですわ。

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