4月28日 精神科で説教をくらう

「そらね、あんた。奥さんとちゃんと会話しないとだめだよ」
 長野病院は精神科の診察室で、柳葉敏郎似の精神科医は呆れた顔でものを言っている。ギバちゃんの前で借りてきたネコのように縮こまり、「はあ」とか「そうですか」とか気の無い返事ばかりを返す壊れたPepperのようなのが僕である。
「仕事にやりがいがないとかねあんた。やりたいことだけやっていられる幸せ者なんて、この世で一握りぐらいしかいないように思えるけどね。あんたはその一握りになりたいと、まあ、そう言っているわけかい?」
 責め立てられていた。この医師の中で、僕は結婚生活に悩んでおり、仕事にやりがいを感じていない一健常者としてのシナリオを組まれていた。
「あんたはこの病院にきて、わたしらに何をしてもらいたいんですか? どうなりたいんですか?」
 幸せに、なりたい、です。喉奥のごく手前まで出かけた言葉を飲み込み、僕は黙り込んでいた。お門違いだ。幸せになるならないを相談するんであれば、精神科医ではなく牧師や神仏の像に吐き出すのが上策であろう。
 ギバちゃんはひどくいらついているように見える。あるいは自称精神病患者の擬態を看破せしめんとし、テクニックで患者に悪態をついているのかもしれない。挑発に乗ってくるか否か、その反応をさぐり、心の病の真偽を確かめているのかしらん。僕はそのようなことを思っていた。僕も同じくひどくいらついていた。
「とにかくね、本当に状況を変えたいんであれば、奥さんとの結婚生活を見直して、仕事を変えるとか、なんとかやってみないとね。うちじゃあどうにもならないよ」
 ギバちゃんがみのもんたに見えてくる。思いっきり生電話のコーナーテイストの話題をかれこれ30分、えんえんと続けているギバちゃん。人生相談@精神科。ギバちゃんがそんなものをやらされるのをウンザリしているのと同様に、僕もウンザリしていた。そんな話をしにきたんじゃないのは僕だって分かっている。
「すると、このような症状は、疾患ではなく環境にあると、そうおっしゃいたいんでしょうか?」
「そうそう」
 ギバちゃんの顔にMacBookの詰まったリュックをぶちまけたいという衝動に駆られた。ここでギバちゃんに暴行を働き、窓を割り、カルテをビリビリにやぶいてそれを食べればあるいはギバちゃんも僕を診る気になろうか。そんな妄想をしつつ、僕の正常なる理性が「さすがにそれは」と尻込みを促す。うん、正常である。正常なのである。
「ひとまずね。薬を変えて様子を見させてください。この薬、気分の波を和らげる効果、あるからね。それとこれ二錠、睡眠薬。どちらも夕方に飲んでぐっすりと寝てくださいな」
 ギバちゃんはみのもんたから急速に精神科医の顔に戻ると、事務的に説明をし出す。
「趣味は?」
 所在なげにカルテをつつきながら、唐突にギバちゃんが切り出した。何? なんて?
「趣味は?」
 繰り返すギバちゃんの顔には微笑が浮かんでいる。
「小説を書く事……ですかね」
「ほう。何の小説を書くのかい?」
「SF小説とかラノベとか」
「いいねー。SFかあ。売ったりしてるのかい?
「いえ、まだ本を作ったりはしてないですけど。Web上で公開したりとかしてますね」
「SFだったらあれかい? ○○○○(作者名失念)とか? 読むのかい?」
「ああ、まあ○○○○は存じ上げませんが、星新一とか筒井康隆とか」
「いいね。パプリカ?」
「あー、面白いですね」
 ギバちゃんの顔に初めて笑顔らしい笑顔が浮かぶ。愛想の無いキャバクラで、ようやくキャバ嬢との共通の趣味を見つけた30男の気分。与太話に花が咲く。40分何円とかで僕はギバちゃんとの時を買っている。無為な時を。
「するとやはり奥さんとの共同生活でそういうものを書く時間もない?」
「はあ、まあ」
 露程もそう言う気持ちはないが同意しておく。そもそも時間があろうとなかろうと書ける時は書ける。小説とはそういうものだ。ただただ早く話を切り上げたかった。
「何かをやりたい気持ちはあるのに、奥さんとの共同生活でそれが妨げられていると。はあ、やっぱりね。こういうことは一度奥さんとじっくり話してみるに限るよ」
 話すって何を?
「それじゃああれだ。うーん……5月7日の午前。またね、診察に来てくださいね。今日はもういいですよ」
 カレンダーを指差しつつ目を伏せるギバちゃん。もはや僕の顔を見てさえいない。
「はい。ありがとうございました」
 僕は受付で薬が出てくるのを待ちつつ人間失格を読む。愛想の悪いギバちゃんだったが気分はなぜか晴れやかだ。精神病者として扱われなかったこと。針のむしろのような気まずい診察室。まるで虫歯もないのに歯科医に来て、歯石も歯垢もないときて、「さあどうしよう。何をしましょうか?」と困惑顔の歯科医を見た気分。全てが健常である事を示していた。社会になじめないのと同様に精神科になじめなかった。しかしなじめないことがプラスに感ぜられたのは初めてである。
 働こう。ただそれだけを思った。
 夜は新しい薬が効いたのか23時に寝る事ができた。夢を見た。とんでもなく楽しい夢だったはずだが翌朝起きたときには何を見たのかさっぱり思い出せず、ただ顔を洗って歯を磨いた。昨日のギバちゃんにえぐられた記憶を思い出しながら、しかし自然と笑みがこぼれ活力に溢れていた。今日は美容院に行く日だ。

4月28日 精神科で説教をくらう」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    この書き出しでハッピーエンドで終わるとは!やっぱり細かい描写(心理描写も)があるから読んでて面白いです

  2. SECRET: 0
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    あかりさん>
    最近太宰治とか、昔の小説を読むのにはまってて少し小説じみて
    書きました。読んでいただけてるんですね! 感謝感謝です!

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