土曜日は夜から花火を見に行っていた。バブル時代に建てられた(?)金持ちが住んでた南区の高層マンションのテラスから花火見ていた。そのマンション。なんかプールがついてんの。部屋もクソみたいにでかく、風呂場からは南区の綺麗なお山と耳をすませばのエンディングライクな丘の下の街並みがブワアーっと。格差。これが格差。当然僕のマンションではない。妻の先輩のマンション。子連れでテラスでお洒落なツマミなどをやりつつ、ビール飲みながらぐびぐびである。花火はとても凄く、2才の娘も大興奮。先日産まれた先輩のお子さんも抱かせてもらい、死ぬほど可愛かった。
と言うようなことをツイッターで呟いていたら、同級生に「インキャを装っているくせにリアルはそれなりに充実しているな」と核心をつかれた。おう、充実しとるわ。ほんとだ。気づかなかった。どちらかと言うと高層マンションのテラス席で花火を見る輩を地上のコンビニから見上げながら見下しバカにしやっかみ、大五郎のカップを片手にビルの横から少しだけ見える花火を見て、死にたいな。と呟く。それが本来の僕だったような気がする。
徐々に人生は好転していく。大学にいる間はとにかく歳を経るごとに難易度が高くなっていく人生に絶望を覚えていた。社会人になった時は、こんなオール我慢みたいな労働が40年以上も続くのかと途方も無い絶望を覚えた。
子供が生まれ、職を変え、義務だと思っていたこと(例えば大企業に在籍して定年まで勤め上げるみたいな思想。子供が生まれたら仕事を辞めてはいけないと言う強迫観念など)をズンズンと切っていたら知らぬ間に人生が好転していった。今や高層マンションの一画で花火である(人のマンション)。可愛い娘と気の合う妻とうさぎとお腹には2人目の子である。でき過ぎている。高層マンション(人の)からデカい花火を見つつ、眼下に見る花火渋滞の列を見ながら、ビールと枝豆をかっこむ。高層マンションは人を狂わせる。俺の人生は成功したと酔わせてくれる。
次の日。二日酔いの頭を抱えながら、地べたを這い蹲り、職場へ。何が人生成功しただ。勤務日選択制で日曜出勤である。日曜にクソ仕事だなんて全然成功してない。アホか。
そして職場のレストスペースでMac Book Proで仕事。テレビ塔の時計を目の前にしながら窓下でせかせか動いている小さな車を見ていると、やはり俺は成功者だ! とまたまた酔うのである。
ちなみに作業は全然進んでおりません。やばいやばいやばい。セブンペイの奴らを一切笑えない。高いところにいると人間バカになる。ほらみろ。下の方のローソン。大五郎のカップ持った髭面の若者が人を殺しそうな目でこちらを見ているぞ。誰だあれは。え。あ。俺(ry