ちょっと長いのでヒマなときにでも読んでください。
ときは2001年。高校2年生のときだ。当時「たいし」と「K」という二人の悪友とよく遊んでいた。イケイケ系の同級生を尻目に、陰気な僕らは彼女もおらず、暗うつとした日々を過ごしていた。とにかく何もかもにムカついていた。彼女のいる奴、部活にいそしむ青春野郎、先生、親。廻り全てが僕たちのことをバカにしている気がして、孤独な感情を抱く毎日だった。
「深夜マラソンしようぜ」
誰が言い出したかは忘れた。ただ何者にもなれない自分たちが悔しくて、自分たちの存在の爪痕を残したかった。ちょうど3年生の卒業式の前日。かったるいことに在校生として2年生の僕たちも出席しなければならなかったのだが、そんなバカらしい話はない。3年生に知り合いなどいない。なのでそれをサボって3人で0泊2日のマラソンをしようということになった。
当時の3人は他の人とは違う何かをやりたかったんだと思う。ただ和気あいあいとマラソンしてもつまらない。バカみたいな距離を走ろうということになった。愛知県は知多半島の最先端、師崎岬を目指す。その距離名古屋から80キロ。80キロを0泊二日で走る。当時研ナオコが24時間テレビで85キロを走って話題になっていたのだが、こんな片田舎の高校生3人も、24時間テレビとほぼ同等の距離にチャレンジしていたのだ。僕達3人、廻りの見えない敵に向かって、「お前らがパープリンな毎日を送ってる陰で俺たちはこんなすごいことをやってる! なんぼのもんじゃい!」といった気分である。若いっていうのは時として恐ろしい。
そんなわけで授業が終わったあと、そのまま名古屋駅に集合、出発する段取りになった。親にはたいしの家に泊まると言ってある。
たいしと僕が先に名古屋駅につき、お互いの服装をバカにしたりしていると、遅れてKがやってきた。「ちぃーっす」とご機嫌で。自転車でやってきた。自転車で。自転車で。
2年ぶりぐらいにフォントをいじったがキチガイである。マラソンしようっていうのに自転車で来たのである。当然僕とたいしは猛抗議をしたのだがKは素知らぬ顔。「俺はお前らのマネージャだから」などと言う始末。河川敷で女子マネと野球部キャプテンがファイオーってなもんかしら。俺とたいしはKに蹴りを入れた。
キチガイは放っておいてとにもかくにも出発した。最初のうちは若さに任せて順調に走っていたのだが、日も暮れて30キロぐらい走ったあたりで、僕とたいしの膝に限界が来た。膝が痛くて走れない。たいしと僕は死んだ目で歩みを進めた。ただKだけは自転車だったので元気だった。「お前らもうバテタのかよ。ちょれーなー!」などとうざいマネージャをやっている。「死ねよお前」「いいから自転車降りろ死ね」とたいしと僕は呟く。
深夜2時。かれこれ50キロ弱ぐらいは走っただろうか。愛知県は常滑市にやってきた。そこで事件は起きた。
行く手の先に交番があった。僕たちはさも深夜にトレーニングしてます体で通り過ぎようとした。そこへパトカーがタイミング良く出てきたのである。僕と並走するパトカー。「何してんの?」と警官が尋ねてくるが「トレーニングっす」と返す僕。とりあえずパトカーの中に入れと警官。「どうしよう」と不安になり止まって後ろのたいしたちを振り返る。たいしもKもいない。僕だけが捕まった。
ブルブル震えながらパトカーに乗ると、警官二人。一方はヤクザみたいな風貌、一方は優しいお父さん風である。ヤクザの方が「おめー、もう二人いただろ!? あいつら呼べや! 見えとったからな!」ともの凄い剣幕。たいしの携帯に連絡させられるが当然出ない。その間もヤクザが「ほんとにかけてんのか!? お前かけてなかったらただじゃおかんからな!?」などと凄んでくる。お父さん風の人が「まあまあ」などと宥める。亀山くんが凄む、右京がなだめる、相棒のような世界が今ここに。僕は「はぃい!」などと悲鳴をあげながらたいしとKにSMSを送り続けた。「出てきて。頼む」。
たいしとKが一向に出てこないので、険悪な雰囲気に。ヤクザが業を煮やしてパトカーから出て行った。しばらくすると、たいしとKの首根っこを掴んで戻ってくる。ヤクザが激怒しながらたいしとKをパトカーにぶち込む。僕がたいしに向かって「なんで逃げたんだよ」などとヒソヒソとすると、「ゴチャゴチャ悪巧みしてんじゃねっぞお!?」とヤクザ。気持ちは分かるけど何なのこの人。
その後、常滑警察署まで連れて行かれ3人別々に取調室へ。住所を聞かれた後なんでこんなところまで来たのかメチャメチャ詰問されたが言いようもなく。「長距離走ってみたくて」と何度も言ったが、その度に「こんなとこまで!? 嘘つくな!!」的なことを言われ。しかし僕としてはずっとその主張を続けるしかなく。自分で何度も言ううちに、なんでこんなことしてるんだろうと今更ながら自問の気持ちが生じ、自分の言葉に自分でへこまされ、いたたまれなくなって落涙。涙に観念したのか晴れて僕は解放された。
署の受付まで出てくると、たいしが既に待合室で待っていた。深夜3時ぐらいである。ただKが出てこない。あいつうっとおしかったし、置いて帰ろうかなどと算段していると、警察官がやってきて僕たちに声をかける。なんでもKの自転車が盗難車だったらしく、お前ら事情知らないかと聞かれる。意味が分からない。
無理矢理自転車でやってきたK。マネージャーと称し自らの足で走る俺たちの神経を逆撫でし続けたK。そして自転車を盗難したK。盗んだ自転車でバカマラソン。むしろ笑いが出た。ざまあ、と思った。
始発まで時間があるので、待合室で待つよう警官に言われた僕とたいし。ぼーっと待っている間に僕の親にも連絡がいったようだ。親から怒りのSMSがやってきた。気が重い。しかし足がズタボロになっていたので絶対卒業式は休んでやろうとか思ってた。
そしたら待合室に西川きよしみたいな人が来た。なんとKの父親だった。目を見開き、僕たちに向かってビシィ! と頭を下げ「どうも馬鹿息子が、申し訳ありませんでした!」ときたもんだ。たぶんバカはあなたの目の前にもいる。むしろこっちがなんかごめんなさい。Kがバカだったからこうなったんだけれども、僕というバカに誘われたからこの自体になった訳で。あれほど違和感のある「申し訳ありません」は人生でいまだ体験していない。
そんなこんなで朝6時。警察に最寄り駅まで送ってもらい、携帯で母親に電話をした。バカなだけで悪いことはしてなかったとは言え、こうして無事にシャバに戻ってこれたことに感動した僕は泣きながら母親にはなしかけた。母さん、よかった。かえって来れたよ。と。
「あんたいい加減にしやーよ? 制服もっとるんでしょ? そのまま卒業式行きな!」
そんなわけで50キロ走った後、警察に補導され、取り調べを受け、徹夜のまま出校し、知らない3年生の卒業式に出た。あの日ほど「蛍の光」がそらぞらしいものに聴こえた事はなかった。高2の、たしか11月のことである。
追伸:ちなみにKは初犯と言う事で厳重注意で済んだ。高校にも連絡がいかなかったらしい。大学のとき、あの日の事を3人で振り返って、「お前が捕まらなけりゃーな」とかKが言い出したときはびびった。退学になればよかったのに、と思った。
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「50km走って補導されたときの話」への2件のフィードバック
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噂のバカマラソソw
時が経って良い思い出…にはならず、ただただ人生に変な汚点が残る素晴らしいクズっぷり。
サツの飴と鞭で真実を吐かせようとする様はさながら、詐欺に近いものもある。
ただ、僕がサツであったなら、いややっぱり引き止めて事情聴取するだろう。
ちなみにだが、ショバは場所や稼ぎ場所の言い換え語でありこの場合は【ショバ】である。
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いやほんとね。警察ってテクでああいうことやってんのなって実感したわ。マジで相棒だったもん。
んでショバなんですが……! めっちゃ恥ずかしくなって速攻で直したわ。なんかこういい間違いがひどいのよ近年。恥ずかしい恥ずかしい。