過去の日記を読んで思ったこと

2005年からブログを初めて以来ブログを書くという行為をいまだに続けている訳だけれども、先日過去の日記サイトのコンテンツを全てポートフォリオサイトに移植した。

過去の日記サイトは大学生時代のFC2ブログをWordPressに移植して、ドメインも変えてやっていた。なんというか日記コンテンツはポートフォリオサイトにはふさわしくないという理由でわざわざこのサイトと分けていたのだけれども、最近この通り日記をこちらにつけているので、まあいいかと。思って一気に700記事以上をこちらに移植した。一つ不安なこととしては、昔の日記はゴリゴリに差別発言や下ネタを書いていたりするので、広告停止の危険はある。が、今の所Googleは何も言ってこないので、以外にGoogleのエンジンは文脈も読むのかもしれないと思っている。

移植後。Archivesを見ると、「2005年」とかいうリンクができて多少ビビった。おもむろに読んでみたのだけれども、2005年の僕はほぼほぼ別人である。要素が一個も残っていない。ほんとのほんとの初期の文章は読んでいると顔が赤くなる。こいつすっごい友達いなさそーー〜、あとメンタル安定してなさそーーーー! という感じ。2008年ぐらいになると結構読める文章を書いて来ており、読んでいるとすごく面白い。人類滅亡級の大災害が起きて、文明が荒廃。500年後にこの日記が発掘されたら、なんとなくロマンがある文章になっている。生活感がすごいからだ。等身大が過ぎる。当時の僕は小説家を目指しており、やたらと小説を読んだり書いたりしていた。一方で自分には何もないというのを自覚しており、親に刷り込まれた「社会人は我慢してお金をもらうんだ」という価値観が根底に見え隠れし、社会人になることに本当に絶望していた。そんな中、必死に自分は価値がある人間なんだと「小説を書く」という一点にしがみついている感じがした。辛過ぎる。社会人になってからの2009年あたりの日記、うつ病で倒れる前後の2015年から2016年初期の日記はズムズムくる。言葉の節々に刃みたいなのが見え隠れしている。もうお前頑張るなと。もう少し適当に生きようよ、と。

そんな感じで自分の日記を読みすぎて寝不足です。よくキラキラ系自己啓発で、自分が自分の1番のファンになりなさい的なアプローチがあるが、そのアプローチで言えば、僕は僕のかなりのファンである。いやあ、昔の僕にしみじみ言いたいが、生き延びていてよかったねえ。