081029

 今日は朝九時から、研究室の輪講があった。ので、早起きしようかと思ったら案の定寝坊し、朝から必死だった。着の身着のまま自転車をこぎ、なんとか時間通りの電車に乗る。服装は、着の身着のままっつーことで寝巻き用のジャージ。名古屋駅をジャージで闊歩する僕は、名古屋大工学部の悪いイメージ(もさい、ダサい、かっこ悪い)の火付け役そのもので、こらオシャレな南山生だの椙山のお嬢様に馬鹿にされてもしゃーないわなとか自虐の笑み。朝から。
 とうの輪講はというと、1週間前ぐらいから用意してたというのに、先生から突っ込まれまくりで非常にしんどかった。ホワイトボードに式の導出をその場で書けと指示され、頭が真っ白に。できるわけないと思ったけれども、とりあえず頑張って解くフリだけはしてた。でも、次第に先生のヒントやら、先輩の優しい誘導やらで徐々に頭がクリアーに。なんとか乗り切ったときには、あー、今日はたくさん勉強したなという気になって大満足。
 午後。輪講でさんざ勉強したから今日はもう帰ってもいんじゃね? とか思ったんだけども、相変わらず測定地獄と実験地獄が次々とやってきたわけで、ここで帰ったらいつか死ぬような気がしたので、泣く泣く頑張った。つっても最後のほうは完全に気が抜けて、クリーンルームの中で携帯から官能小説とか読んでた。いや、実験の待ち時間が長くてさ。つい。この一週間だけで、実験中に官能小説の短編を5作読んだのはここだけの話。
 帰宅。既に夜の9時前。なのに、「あー今日は早く帰れたわ」とか素直に思った僕は、きっと家庭を省みないタイプ。
 相変わらず飯がうますぎる。今日はから揚げとサトイモの煮っ転がしだった。空腹で帰ると本当に飯がうまい。最近の僕は、飯のおいしさのためだけに生きてると言っても過言じゃない。
 彼女(以下、Yちゃん)に電話しつつタバコでも吸うべーと思ったけれど、そういえばYちゃん今日夜勤だったなと思い出したので電話は取りやめ。寂しく家の門扉のところに座り込み、タバコをプカプカやった。
 そういえば喫煙3日目にして、ようやく肺にうまく煙が入れられるようになった。煙をストローのように吸い込んだあと、軽く口を開けながら、わずかに深呼吸をする。煙は、気道を通るときに少しだけイガらっぽい熱さを残し、あとは無感覚で肺の中に入っていく。で、なんだ、肺に入れても何か世界が変わるわけでもないのね、とか油断してると、時間差で酸欠に陥り、頭と体がズンと重くなる。
 この感覚が、なんやら遊園地のアトラクションみたいなノリで好きになってきた。そのままちょっと歩くと、体は動くには動くんだけど、筋肉の細かいところに力が入ってなくて、ぶらぶらと手足が浮いてるみたいな感覚に陥る。ちょっとだけ自意識が肉体から離れ、後ろから自分の体を客観視してるような。要するに他人の体を動かしてるような感覚が面白い。
 と同時に大分怖い。これはみんなに起こることなの? 僕が煙を吸いこみすぎとか……吸い方が悪いとか? これ、力の限り肺に吸い込んだら、ほんとに一酸化炭素中毒になりそうなんだけど、誰かアドバイスあったらおねがい。僕が死ぬ前に。
 もし仮に、これがタバコのデフォルトであるのなら、こんなものを吸いながら仕事だのやってる人はどうしてなんだろう? 明らかに能率が落ちると思うんだけど。一酸化炭素中毒になってもうろうとした脳でしかやれない仕事ってのがあるのかしら? 麻薬やりながら小説書くみたいな、昔のフランス作家的な感じ? いつかタバコ吸いながら文章書いてみたらどうなるかっつーのをやってみたいな。
 小説の推敲は、今日はちょっと頑張って原稿用紙3枚分くらい。帰宅9時の割には頑張った。いよいよ物語の佳境に入るので気合を入れねば。……いや、気負うと失敗しそうだ……あーここでタバコが役に立つわけか。酸欠じゃあ気負えないものな。
 寝るカー。